3.出来すぎた外持雨

 試験勉強の為だと自分に言い訳を五つくらい重ね、翌日も図書館に来てしまった。苦しいにも程があるが、確かにこのまま帰宅してもどうせ試験勉強に身が入るとも思えないからどっちみち捗らないならばと彼に会える事を半ば期待しながらいつもの席に向かう。
 残念ながら予想に反して彼はおらず、いつもの場所には誰も座っていない。
 肩を落としながらも俺は当初の目的であった試験勉強に取り掛かろうと席に着き、ノートを広げた。
 今までも図書館に来れば必ず会えていたわけでもないのだからここに居ない事は想定の範囲内の筈なのだが、思っていたよりも落胆している事実に驚きを隠せない。
「……」
 暫く鉛筆を走らせているものの、やはり進みは芳しくない。気が乗らないというのもあるだろうが、一番は──
「家に置いてくるの忘れた……」
 先日メモを受け取ってノートに挟んだままにしてしまっていたようだ。その所為と言うのは余りに乱暴だが、どうしても昨日の出来事を思い出してしまう為ノートの使わないページに挟み込んだ。

 そんな訳で今一つ集中できないままぼんやりと時を過ごしていると、誰かが椅子を引いた音にハッと我に返る。顔を上げると、いつも座る位置の椅子を引いて座る青年の姿が目に入った。
 あっと声を上げそうになるのを堪え、何事もなかったようにノートに視線を戻す。
 彼は特にこちらの様子を気にするでもなく椅子に座ると、ノートを広げた。
 気にされていないというのは分かっていても、想い人がすぐ近くで真剣にノートに鉛筆を走らせている姿を見ていると、何となく気が引き締まるというか、背筋が伸びるというか──
(……思ってた以上に現金な人間だな、俺)
 自嘲気味に溜息を吐きながら、目の滑らなくなった教科書に目線を戻した。
 先程より自習に打ち込めていたせいか、時間が過ぎるのが随分と早く感じる。閉館時間が近づいてきたようで職員であろう男性に声をかけられる。
 慌ててノートや教科書を鞄にしまっていると、はす向かいに座っている彼はすでに荷物をまとめ終えて椅子から立ち上がっていた。
 出口に向かって去っていく彼を見送り、さて自分も家に帰るかと立ち上がると机の横に何かが落ちているのが見えた。
 拾い上げてみればどうやら学生証で、顔写真を見れば落とし主は先程までそこに居た彼であるのは明白だった。
(名前……神崎って言うのか)
 図らずも彼の名前を知る事になってしまったと浸っている暇も無く、急いで彼の後を追わねばと思い立つ。

 職員に咎められない程度の早足で先に出口に向かった彼を追う。図書館内か外に出ていても近くに居ればそのまま返せるのだが……と辺りを見回しながら出口を目指す。
 貸出受付の司書に聞いてみれば既に外に出てしまったと言われ、すっかり暗くなった館外に出る。それから図書館の前の道の左右どちらに向かったのか、と人影を探していると、街灯の明かりの下に座り込んでいる人影が見えた。
「あの、どうかしました?」
 声をかけながら近づいてみれば、幸運にも先程学生証を落とした彼である。どうやら学生証がないことに気が付いたらしく、街灯の光を頼りに先ずは鞄の中にないかを探している、といった様子だった。
「物を落としたみたいで……」
「これ?」
 ひどく慌てた様子で鞄の中をさらっている彼に先程拾った学生証を手渡す。するとあっと驚いたような声と共に立ち上がり、両手でそれを受け取る。
「こ、これです! 拾ってくださったんですか、ありがとうございます……!」
「よかったよ、追いつけて」
 お互いの口から安堵のため息が漏れる。
「本当に助かりました、ありがとうございます」
 丁寧に何度もお辞儀をする彼にこちらも恐縮して頭を下げる。
「そんなに感謝される程の事は……」
「どこで落としたかも心当たりが無くて途方に暮れていたんです。だから本当にありがたくて……」
 そこで彼は一度言葉を切り、再びしゃがんで鞄の中に学生証をしまいこむ。そういえばあまり服装までじっくりと見ていなかったから気付かなかったのだが、自分と同じ制服を着ている事に気付いた。
「見たところ学校同じっぽいし今日がダメでも明日返せたから、そこまで途方に暮れることでも無かったさ」
「そうかもしれないですけど、それは結果論ですから。……それに、定期券を挟んでいたので、無いととても困るんです」
「そうだったのか、なら、渡せてよかったよ」
 そう返すと、彼は渡した学生証に挟んであった定期券を確認し、ほっと胸を撫でおろした。
「ありがとうございました」
 そう言うと、彼はそれでは、と頭を下げて帰路に就くために俺に背を向ける。
「じゃあな、ま──もう落とすなよ」
 また、と言いかけて慌てて言い直す。
 不審に思われただろうかと少し不安になるが、幸い彼が振り返る事は無く、ホッと胸を撫でおろす。それから俺も踵を返し、家路に就いた。