二月の街はチョコレートの香りがする。
この時期はどこを歩いても菓子を提供しているような店ではこぞってチョコレートを使った菓子をを前面に押し出していて、そういった店の前を通ればケーキとまでは行かなくとも板チョコの一枚でも買って帰りたくなるのが人情というものだろう。
俺もそんな単純な人間の一人で、甘い香りに誘われるままに買ったチョコレートを入れた袋を引っ提げて家路についているのである。
さて、買った数枚の板チョコをどうしようかと冷蔵庫の中身と向き合う。牛乳があるからホットチョコレートを作るのもいいだろう。しかし残りをそのまま齧るというのも余りに芸が無い。かと言って何かいい案があるというわけでも無いのだが。
「千秋にケーキの作り方の一つでも教わっときゃ良かったな」
パティシエをしている従弟の顔を思い浮かべる。たまに料理を教わりに行ったりするのだが、そういえば彼の専門であるお菓子作りの事は聞いたことがなかった、とぼんやり考えていると、先日買ったが少し残ってしまったポン菓子が目に留まり、ふと良い案を思い付く。
「チョコを溶かして……確か直接火にはかけないんだったか……。別で使うやつもまとめて刻んで……」
アルミ箔から取り出した板チョコを細かく刻み、金属のボウルに二つに分けて入れる。そういえば中学生の頃、妹と一緒にバレンタインに何か作ったな、と作り方を思い返しながら鍋に水を張り、火にかけた。
それから片方のボウルに入れたチョコレートを湯煎にかけて溶かしていく。チョコレートが熱で溶けてドロリとした液体になったらそこにポン菓子を入れて木べらでよく混ぜ合わせる。
「……どうやって固めるかな、これ」
ここまでやったはいいものの、パラフィン紙のような気の利いた物は無い。仕方なく皿にアルミホイルを敷き、ほんの少し油を塗ってからその上に広げていくことにした。
チョコレートとポン菓子の混ぜ物を二本のスプーンで一口大に丸めながら皿に並べていると、かちゃりと鍵の開く音が聞こえてくる。
「ただいま帰りまし……ん、甘い匂い……?」
足音が近づいて来て、廊下とキッチンを繋ぐ引き戸が開く。そちらに顔を向けると、同棲している恋人がこちらをじっと見ていた。
「おかえり」
「どうしたんです? そのチョコレート」
「一緒に食べたい気分になってさ。けど、買った板チョコそのままってのも味気ないから何か作ろうかと思って」
手元でチョコレートを捏ねながらそう答えると、神崎はふうん、と感心するように頷き、皿の上に並んだ塊を一つ指差した。
「一つ味見してみてもいいですか?」
「良いけど、売ってるものと大して変わんねえと思うよ。それに──」
俺が言い終わらないうちに手袋を外して塊を摘み上げ、口に運ぶ。
「これ、ポン菓子が入ってるんですね、雷おこしみたいでおいしいです」
まだ温かい溶けたままのチョコレートのついた指を舐める仕草にどきりとする。
「……指が汚れるって言おうとしたのに」
「ふふっ、あまりいい匂いがするものですから。我慢できなくて」
「まあ、つまみ食いもしたくなるよな。ほら、もう一口」
皿に乗り切らなかった一匙分の塊を神崎の目の前に持っていくと、少し考えた後、口を開けて半分だけ食べた。
「半分残ってるけど──」
「僕ばっかり食べるのもどうかなって思いまして」
「ああ、俺の分ね」
気を遣わなくても良いのにと思いつつ口に運ぶ。甘く、ほろ苦いチョコレートの味とポン菓子のざくざくといった食感が楽しい。
ふと神崎の方を見ると、なぜか照れたようにこちらから目を逸らし、着替えてくると言い残して足早にキッチンから出ていってしまった。
冷蔵庫でチョコレートを固めている間に一度使った調理器具を洗い、次の一品に移る。
コップ二杯ぶんの牛乳を鍋に入れ、弱火にかけた。
「確か混ぜながら沸騰させて、一回火を止めるんだったな」
ホットチョコレートのレシピは前に読んだ本に載っていたものの受け売りだ。自分でも試した事はなかったから不安ではあるが、何せ牛乳とチョコレートしか使わないから、焦がさないよう注意を払えば飲めないものになる心配はないだろう。
ふつふつと泡の出て来た牛乳を見て火を止める。そこに刻んだチョコレートをざらざらと入れると甘い香りがふわりと香った。
それからうまく溶けきるように念入りにかき混ぜ、再び弱火にかける。温まった物を二つのマグカップに均等に注いで何か添えるものはないかとざっとキッチンを見回したが、特に良さそうな物はなかった。
冷蔵庫から先に入れていたライスチョコレートを取り出し、これも二つの皿に分ける。うまく固まっているらしく、アルミ箔から剥がすのは容易だった。
それから皿とマグカップを食卓に並べて神崎を呼ぶ。すると軽く返事が返って来て、部屋着に着替えた神崎が居間の方からやって来た。
「わ、美味しそう」
「ホットチョコレートは冷めないうちに飲めよ」
「わかりました。ありがとうございます」
いただきます、と手を合わせ、神崎はまずライスチョコレートをひとつ摘む。一口大に作ったつもりだが少し大きすぎたのか、塊を一口に頬張るのではなく二回に分けて齧っているのを見て、上品さを感じる。
「固めると食べやすくなっていいですね」
「そうだな」
ライスチョコレートを一つ食べ終え、次はホットチョコレートに手を伸ばす神崎。美味しそうに食べる姿をついじっくりと見てしまっている自分に気付き、誤魔化すように俺もマグカップを手に取った。
一口啜ると、甘く香ばしい香りとまろやかな甘みが口に広がる。ココアのようにも感じるが油分が多いからか少しとろりとしている感じがする。
向かいに座る神崎の反応をそっと窺うと、おそらく気に入ったのだろう、マグカップを傾けるのと味わうようにじっとカップの中身を眺めるのを何度か繰り返している。
「これ、とてもおいしいです」
「気に入ったなら良かった」
幸せそうな神崎の表情を見ていると、簡単なものでも作った甲斐があったと嬉しく思う。そんなことを思っていると、不意に視線を感じて顔を上げた。
「どうかしたか?」
いつの間にかこちらを見ていた神崎と目を合わせるとすぐに視線を逸らされる。
「いえ、その……」
一度言葉を切り、マグカップを置く。そして両手で顔を覆い、ふう、と大きく息を吐いた。
「今日は……ほら、バレンタインデーじゃないですか」
「うん? ああ、そうだな……ん?」
唐突な話題に戸惑いつつ相槌を打つ。確かに世間はそういう時期で、だからこそ街はバレンタインデーだからとチョコレートを前面に押し出して──
「だからその……そういう意図なのかなって思って……その顔を見る限りあまり意識していないようですが……」
じと、という擬音が当てはまる様子でこちらを見てくる神崎。対する俺はと言うと、言われるまで意識しておらず、そういえばそんな日だったと今更ながらに照れているのが現状である。
「あー……ごめん、失念してた……けど」
「けど?」
「……それ聞いて、もっと凝ったモン作っとけば良かったなってちょっと思ってさ」
頬杖をつき、マドラーの代わりに突っ込んだスプーンでマグカップの中身をぐるぐるとかき混ぜながら呟く。別に物の豪華さではないとは分かっているが日頃の感謝や想いを伝える日の為のものとして作るのならもっと喜んで貰いたいと、ついそう考えてしまう。
「……それじゃあ来年は期待してますね」
「……お、おう」
その期待とは凝ったチョコレートの事なのか、それともそのチョコレートに添える想いの事なのかは神崎の表情を見れば明らかだった。
そんな照れた様子の神崎を見ているとこちらも照れてしまい、チョコを食べ終わるまでお互いにずっと黙り込んでしまった。