雨の音が聞こえる。
雨粒が窓を、草木を、地面を叩く。
窓の外を眺めてみれば、鉛色をした雲が空を全て覆い隠し、雨粒を降らせていた。
そして雲からこぼれた雨粒が時折窓にぶつかっては、水滴を飛び散らせている。
俺はそんな光景をぼんやりと眺めているのが好きだった。
雨と言うだけで気が重くなるだとか、気分が上がらないだとか、そう感じる人間は少なくない。
俺も確かに、雨が降ると外に出かけるのが億劫になったり、家から出たくないと思うことはある。
けれども家の中から聞こえてくる雨音を聞いて、ガラス越しに見る外の風景を見ていると、心が洗われるような、そんな気がしてくるのだ。
そんなことをぼんやりと考えながら窓の外を眺めていると、ふと視線を感じた。
「……ん?」
窓の外から視線を外し、部屋の中にいる人物の顔を見る。
不思議そうにこちらを眺めているのは、一緒に暮らしている恋人だった。
俺と目があったことに気づいた恋人の口許に少しだけ笑みが浮かんだ。
「神崎? どうかしたのか?」
「雨が好きなんだなと思いまして」
俺の問いにそう答えると、座っていた椅子から立ち上がり窓辺に歩いてきた。
「こうして窓越しに見ている分には涼しげでいいと思いますよ、僕も」
流石に雨に打たれたくはありませんけど、と付け足し苦笑する。
その様子につられて俺も小さく笑い声を上げた。
それからしばらく、お互い何をするでもなくただ静かに窓辺に佇んで雨の音に耳を澄ませていた。
雨の音に混じって微かにお互いの呼吸音が聞こえるのが心地良いと、そんなことを考えていると、右半身に重みを感じる。右側を見ると、神崎がこちらに寄りかかっているのが見えた。
「椅子持ってこようか?」
「……」
無言のままふるふる、と首を振る。どうやら疲れたわけではないらしい。
「たまにはこういうのも良いかなと。……今日はお互い予定もありませんし、このまま家でのんびりしていませんか?」
「そうだな……」
同意を示すように呟きつつ、俺は再び窓の外へと視線を向ける。
灰色の空からは未だに絶え間なく雨粒が落ちてきていた。
「……もう少し、こうしていても良いですか」
少しの沈黙の後、おずおずと投げかけられた神崎の言葉に俺は黙って頷く。
それを見て、彼は何も言わずに俺の右手に指を絡ませてきた。
手袋の感触に驚いたのか、それとも単に恋人の手が触れたからか、少し大袈裟に心臓が鳴った感覚がする。
それが何故かとても恥ずかしくて、誤魔化すように空いた手で軽く伸びをした。
そんなことはお見通しとばかりに隣からはくすりと笑う声が聞こえる。
「何だよ」
「ふふ、反応が可愛らしかったので、つい」
「か……!?」
今まで言われたことの無い一言にぎょっとして神崎の方に顔を向けると堪えきれないといった様子で肩を小刻みに震わせている姿が見える。
「からかってる?」
「……ほんの少しだけ。ほら、普段は僕が言われることの方が多いですから」
ささやかな仕返しです、と言いながら口元に手を当ててくつくつと笑う。
その様子が何とも可愛らしく、思わず空いた手で神崎の頭をくしゃくしゃと少し乱暴気味に撫で回した。
そんなことをされても神崎は制止するどころか目を閉じて何となく気持ちよさそうな表情をしている。
「髪、ボサボサになるぞ」
「外に出る予定が無いからいいんです」
「そうは言ってもさ」
流石にくしゃくしゃにしたままでは申し訳ないと指で整えるように髪を撫でる。
「ふふ」
嬉しそうに笑ってされるがままになっている姿を見て、胸の奥が暖かくなっていくような気がした。
しばらくの間お互いに何も喋らず、ただぼんやりと外を眺めて同じ時間を共有しているだけという状態が続く。
「──ところで、ですね」
静寂を破るように不意に神崎が顔をこちらに向けて真剣そうな表情を見せる。
「どうした?」
そう聞けば、視線がふらりと揺れ、唇の端が何か言いたげに微かに動く。
それから意を決したように深く息を吸い、真っ直ぐにこちらを見つめるとゆっくりと口を開いた。
「その、そろそろ、僕の事も名前で呼んで欲しいかな、なんて……」
「え」
突然の提案に頭が一瞬真っ白になりかける。
そういえば恋人になってからも変わらず神崎と呼んでいたなと、言われてから気付く。
「どう……でしょうか」
不安そうにこちらの様子を伺ってくる神崎に、俺は何も言うことが出来なかった。
勿論嫌なわけではない。けれどたかが名前、されど名前である。
神崎に名前で呼ばれ始めた時でも今思い返すと自分でも引くほど動揺したというのに、と考えていると余計に緊張してくる。
「嫌でしたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「けど?」
「その、少しずつ、慣らしていけたらなって……」
そう答えれば、神崎は少し考えるような素振りを見せた後、ふっと口許を緩めた。
「ふふ、分かりました。それじゃあ、慣れるようにたくさん呼びかけてみて下さいね」
そう言って、神崎──尊は悪戯っぽく笑う。
「……善処するよ、その……みっ、みこ……ああ、もう」
早速言おうとして言葉に詰まるのを見て、尊はやれやれと肩を竦めた。