この日は珍しく酒に酔っていた。
普段は全くと言って良いほど酒に触れない生活をしているから、たまにはどうだと誘ってきた知人も驚いていたのをぼんやりとする頭で覚えている。
普段なら断るが、今日は気分が良くてつい誘いに乗ってしまったのだ。
それにしても、たった一杯の水割り、それも小さめのグラスに入ったものをちびちびとやっているだけで頭がくらくらとしてしまうのは流石に下戸にも程があるが。
「大丈夫ですか」
「ん……」
目をぱちぱちとさせながらぼんやりとした調子で答えると、知人──立霧縁のことである──はばつが悪そうに頬を掻く。
「飲ませといて何だけど、アンタ本当酒弱いんですね……」
「嫌いじゃ、ないんだ、けどな……むしろ店の雰囲気とか飲み屋の飯とか、好きで……」
「そりゃ難儀な事で」
気を抜くとそのまま机に突っ伏して眠ってしまいそうな程の眠気をなんとか散らそうとブルブルと頭を振ってみるも、効果は薄そうだ。
「前にもこんな事ありましたね、何年前でしたっけ?」
「さん……ねん……? 位だったか?」
「三年前すか。あー、思い出した」
忘れてた、と言いながら苦々しい顔をしているのを見ると、なるほど前回は余程面倒な事になったのだろうと少し同情する。記憶には無いが。
「まあ三年前は俺ももっと飲ませてたので自業自得ですけど。水飲みます?」
差し出される氷水のグラスを受け取って一口飲む。冷たい水の塊が喉をゆっくりと降りていく、そんなことを妙にはっきりと感じた。
「前……そんなヤな顔するような事あったのか?」
「三時間位くだ巻かれましたね」
「……」
言われてようやく何となく思い出せるような思い出せないような、と首を捻っていると、縁は呆れたように溜息をつく。
「ぼんやり思い出してきたような……何言ってたっけ……?」
「えー、と……とりとめもないことですよ。心の内を誰にでも良いから吐き出したいだけというか、そんな感じの事を。……とにかく、また三時間同じ話されるのヤですからね、帰りますよ。立てます?」
「けどまだ飲み切って──」
溶けた氷のせいでほぼ水に近づいた水割りの入ったコップに手を伸ばすと、さっと取り上げられた。
「もうほぼ水ですよ」
「残すのは……」
「もう一滴も酒入れさせたくないんで」
「自分で酒の席に誘っておいてこいつ〜〜」
とは言うものの、これは縁の言い分の方が正しい。
俺は渋々テーブルに置かれた温かい茶を飲み干し、席を立った。
それからどう帰ったのだったかは記憶にないものの、なんとか一駅先の自宅に帰り着く。
ドアを開けると、その音に反応したのかパタパタと廊下を歩いてくる音が聞こえてくる。
やってきたのは同棲している恋人だった。俺の顔を見るなり何か少し考えて、合点が言ったように手をポンと打つ。
「……ああ! お酒飲んできたんですね。顔が赤いですよ」
「……尊」
家まで帰る間に酔いがかなり回ってきたようで、瞼が石にでもなったのかというほどに重い。
「ただいま……」
「はい、お帰りなさい。時也君」
ふらつく身体を支えてもらいながらどうにか靴を脱ぎ、そのままベッドへ倒れ込む。
「吐き気とかありませんか?」
「ん……多分」
「それなら良かったです。何か飲むもの持ってきましょうか」
小さく頷くと、尊は寝室から出て行く。
「はー、情けねー……」
一人残されたベッドの上で深々と溜息を吐く。
自分が下戸だというのは分かっていたつもりだったがまさかたった一杯の水割りでここまで酔ってしまうとまでは思っていなかった。
その認識の甘さのせいで今こうして迷惑をかけてしまっていると思うと嫌気がさしてくる。
「時也君? 大丈夫……ですか?」
尊がいつの間にかこちらに戻ってきていたようで、深々と溜息を吐いていた俺を心配そうに見ていた。
「なんか、迷惑……かなって……」
「そんな事ありませんよ」
微笑みながらそう答え、尊はベッドに腰掛ける。それからよく冷えた缶ジュースを俺の額にぺたりとくっつけた。少し驚いたが、酒で火照った頭を冷やすのに丁度いい。
「冷て……」
「よく冷えてるものの方が気持ちもすっきりするかなと思いまして」
「ありがとな」
貰った缶の冷たさを額でじっくりと味わっていると、横から尊の手が伸びてきて、優しく髪を撫でられる。
「友達とお酒飲みに行ったんですよね、確か。楽しかったですか?」
「ん……」
「ふふ、良かった」
さりさりと頭を撫でられているうちに水の中に溶けていくような、水面を揺蕩っているような、そんな心地の良い脱力感に襲われる。
「……あれ、眠ってしまったんですか?」
途切れた会話に尊が気付く頃には、俺はもう規則正しい寝息を立て始めていた。
どのくらい眠っただろうか、それともまだ微睡んでいるのだろうか。薄ぼんやりとした意識の中に声が聞こえてくる。
耳を傾けると今日一緒に飲んでいた縁の声で、なるほどこれは夢だと合点がいく。
投げかけられる言葉も彼に悩みを相談したときに聞いたもので、ああ縁とそんな話をしたなと眠気にぼうっとした頭でも気付くことができた。気楽に話せるからと言って、何でもかんでも彼に相談しすぎだと我ながらそう思う。思うだけで、改められるとはあまり思っていないが。
『────ですか?』
意識がまた落ちかけた頃、問いかける声があった。
「────」
言葉になっているかわからない曖昧な声を出し、俺はそのまま意識を手放した。