ほんのりと色づいた桜の蕾が開き始める頃だった。
卒業式を終え、同級生達がやれ打ち上げだ、やれ寄せ書きだと楽しそうに話しているのを尻目に教室を後にした俺は、同じ学校に通っているはずのとある人物を探していた。
通っているはず、というのも、学年が違う為か学校内で会う事がほとんどなく、正直なところ本当に同じ学校に通っているのか信じがたく思っているのが本音である。
彼はよく図書館に居たからもしかしたら、と図書室に向かったが、当然のことながら行事の、それも卒業式の日に図書室が開いているわけもなく、固く閉ざされた扉と電気の消えた室内が無情な現実を突き付けてくる。
「……よく考えたら、いや、よく考えなくてもそうか、そうだよなぁ……」
へたり込むように扉の前でしゃがみ込むと、背後から上履きが廊下のタイルを擦る音が聞こえてくる。
開いていない図書室に入り込もうとする輩が居ないか見回りに来た教員かと思い振り返ると、そこに居たのは──
「あ……」
「卒業おめでとうございます」
神崎尊だった。
「あ、ええと……何で、いや、図書室は今日は閉まってて──」
予想していなかった遭遇にしどろもどろになりながら言葉を紡ぐと、神崎はにこりと笑みを浮かべる。
「貴方がここに来る気がしたので」
「俺、が」
心臓の音がやけに耳の中で反響する。もしかして自分の気持ちに気付かれているのだろうか、それともただの偶然なのか。
「確かに、来た、けど」
それは今お前がここに居ることとは別じゃないか、と言おうとして言葉に詰まる。まるでその先に続くであろう台詞を期待しているような言い方になってしまうからだ。そんなこちらの考えを見透かすかのように、神崎はもう一度口を開く。
「……今日、卒業式じゃないですか。それで、ふと思ったんです。卒業したら……雨沢さん、もう図書館に来なくなっちゃうんじゃないかなって」
俺から少し顔を反らしながら目を伏せる神崎の表情にどきりとする。
「変ですよね、大して関わり合いになってるわけでもないのに」
「お、俺もっ! 俺も──同じで」
立ち上がりながらそう言うと、神崎が驚いたように顔を上げる。
「……いや、同じっつってもそっちがどう思ってるかは完璧には分かんねえけどさ。俺はその……さみしいと、思って。だから、最後に何か話したかった」
神崎は驚いた顔をしている。無理もないが。
「あ! いやその、深い意味はなくてさ。折角知り合ったのに残念だなって、そういう意味で──」
実に言い訳じみているが、これでいいと自分に言い聞かせながら言葉を続ける。卒業まで言い出せなかったことを今更言えるはずもないし、拒絶されて終わるのは後味が悪い。
そうやって口に出した言葉の理由を並べてみても、自分の臆病さを今日ほど呪ったことは無いだろう。
「……最後に、ですか」
俺の言ったことを反芻するように呟く神崎。少し曇ったようなその表情は何を考えているか読み取れない。かと思えば何かを思い立ったように持っていた鞄に手を突っ込み何かを探し始める。
「神崎?」
「雨沢さん、手を出してくれますか」
言われるままに手を差し出すと、一冊の文庫本を手に乗せられる。
「これ、いい本なんです。だから、その」
彼の様子で何を言わんとしているかははっきりと分かる。
「分かった。いつになったとしても、ちゃんと返すよ」
「約束、ですからね」
神崎はそう言って、彼を意識し始めるきっかけになったあの日のような笑顔を浮かべたのだった。