土地勘には自信があった。支部長という任を任された以上、引きこもっているだけのわけにはいかず”やむを得ず”外に出向くことが多かったからだ。
「非常時に身を隠すために覚えた地形がこんなところで役に立つとは……世の中何が起こるかわからないものだね」
背を追う人々を振り切り、路地裏に積まれた段ボールの影で息を吐く。
「やっと撒けた、けど……」
見つかるのも時間の問題だ。
「さて、どうしたもの……か……っ、」
顔を上げると先ほどまでいなかった人影が目の前に立っているのが見え、思わず大声をあげそうになるところをグッと堪える。
フードを目深に被っているが、そこから覗く青紫の双眸は、忘れるはずも無い。
「…………何故、お前がここに」
「騒がしいから来てみれば……確か殺した筈だったが…………殺し足りなかったか」
僕を覗き込んでくる。ああ、そういえば確かあの時も──
「…………このまま殺してしまっても構わんが……それでは芸がないか」
ふいと男が目線を外す。顔を向けた先に目をやると、男の巨躯が目立ったのだろう。ちょうど僕を追っていた者たちが路地にいる影に気づいたようだ。
「あ……ヤバ……」
「見つかるとまずいのか?」
「……うん。今、ちょーーーっと立て込んでて」
男はそうか、と呟くと、僕を抱えてタン、と跳び上がった。
「ぅわ!!?? ちょ、え????」
雑居ビルの屋上に着地したかと思えば、あろうことか僕を肩に担いだままビルを飛び移っていく。
「何で???」
「興味が湧いた」
「ハ???」
そんな問答をしていると、一匹の蝶が蝶と呼ぶには速すぎる速度で男を追っているのが見えた。
「……蝶?にしては速いな……?」
「《10i》の監視か……丁度いい」
男はより高いビルへと飛び移り──
そのまま屋上から飛び降りた。
ハッと目を覚ました僕の前にあった情景は、水の流れる音と花の香り、綺麗に整備された植木……情報量が多すぎる。
「……?」
「漸くお目覚めか。全く、オーヴァードでありながらあの程度の高さで気絶とは情けない」
「担がれたまま飛び降りられたら誰でもビビるけど」
半身を起こして不満げな声を出してみても、当然の如く男は何の反応も返さない。
「さて、お前とぐだぐだ話していても時間の無駄だ。ハッキリ聞くが、お前は”今”何者で、何故お前はUGNに追われていた?」
「……」
ざわり、と植木が震えるように動いた。気がする。
「口で聞いているうちに答えておけ、後で治療費を請求されてはかなわん」
「もはや質問というより恫喝──わかったよ」
これまでの経緯を洗いざらい話した。自分がこの辺り……N市でUGNの支部長をしていることや、部下がジャーム化した事……彼を追う為に全てを放り出して支部を飛び出した事を。
「……ふむ。成る程」
「短絡的だろ? でも──」
「私に”その感情”の理解はできん。するつもりもない」
静かにそう言って男は僕に背を向ける。
「だが、お前はその部下に『これまで築き上げた何もかもを捨ててもいいと思えるほどの何らかを見出している』と、そう聞こえた」
「……」
「それにしても……支部長か。『出来損ない』が、随分と偉くなったものだ」
風でも吹いたのか、男のフードが自然に脱げ、ばさりと長い三つ編みが背中に垂れる。
「捨てても良いのなら、捨てさせてやろうか」
「どういう──ッッ!」
腹に鋭い痛みが走る。刃物か何かで刺された……それにしては裂かれる痛みとは違う、無理矢理何かを押し込まれるような、肉を抉られるような痛みと共に熱い液体が身体を伝うのがハッキリと分かった。
「ッ、ぐ、ぅ……な、にを……」
「失くすなよ。その鍵は全てを詳らかにする──《邪悪の木》の証だ」
「ハ、ァ……? 僕はまだ、お前の仲間になるとか、言って──」
「仲間になる? 自惚れるな」
いつの間に解けたのか、三つ編みを作っていた束──よくみればそれは毛髪ではなく、おそらくは僕の四肢にあるそれと同じ──が僕の全身を絡め取り、きつく締め上げる。
「座を貸してやるだけだ」
「っ、わ、わかったから!」
そう答えると、乱暴に解放される。
「その粗末な仮面で繕うがいい、《邪悪の木》の、《6i》であるお前を」
「カイ、ツール……」
「醜悪の悪徳だ……クク、丁度いいだろう?」
「実に不愉快だ」
するりと、来ていたジャケットを落とし、指先を隠していた布を解く。
「……醜悪か」
──成る程確かに、丁度いいのかもしれない。