「……い、先輩、火!」
耳元でした声にハッと我に返る。手元を見るとフライパンの中に焦げてひと塊になった炒飯だったものが香ばしいをギリギリ通り越した香りを上げている。
「あ……悪い、焦がした」
焦げすぎたところを避けて皿に移す。パラパラとは程遠い仕上がりになってしまった。
「珍しいですね、帰ってからずっと心ここにあらずって感じで。何かありました?」
「いや、そんなこと──な、いや、ある……かな?」
そんなことない、と誤魔化すかどうか悩んで結局肯定する。そもそも俺は噓を吐くのが苦手だから、誤魔化すと決めたところでこの聡い後輩でなくてもすぐに誤魔化そうとしたことがばれてしまうだろうと返答を聞いて呆れた顔になる同居人を見て思う。
「……誤魔化すか肯定するか悩むなよな、アンタ嘘下手なんだから」
「うぐ……」
「ま、先輩が何も言いたくないってなら深くは掘り下げませんけど、いつまでも上の空でいられるのは困りますね」
「……善処するよ」
炒飯の黒くなってしまった部分を生ゴミのネットにあけ、焦げたフライパンを水に漬ける。
「それで、相手はどんな人なんです?」
「相手? あー、たまに図書館で見かける物静かで……ん、んん⁉ まだ俺何も──」
「いやむしろ引っ掛かるなよと言いたいですが……」
酷く雑にカマを掛けられたようだ。見事に引っかかった俺を見て、縁は深い溜息と共に顔を覆う。
「まあそんなことだろうと思ってましたよ」
「えっ……俺そんなにわかりやすい?」
「ええ。アンタが思ってる三倍は顔に出てますよ」
「そうかぁ?」
縁の返答に思わず頬をぐにぐにと揉む。確かに普段から感情表現豊かな方ではあると思うけれど、そこまでではない筈だと思っていたのだが。
「って言うか、お前さっき言いたくないなら深くは掘り下げねえって……」
「言いましたけど、好奇心が勝ちましたね」
さらりとそう返す縁。
「熱出そうがバイト先で面倒な客に怒鳴られようが飯だけはマトモに作れてたアンタがこんなにポンコツになってんだからまあそりゃ何があったか気にもなりますよ。あんな雑にかけたカマに引っ掛かるとは思いませんでしたけど」
言いたいことだけ言って、縁は冷蔵庫の中にあった卵を取り出す。
「俺の分は適当に自分で作りますから、先輩はその焦げた炒飯の無事なとこ食べてて下さい」
俺が作り直すよと言ってみたが、また焦がしそうだから今日はいいと台所を追い出されてしまった。
焦げた匂いが移って少し苦味を感じる炒飯を口に運びながら、考える。
──そもそも相手について聞かれてもどう答えたら良いものか。こちとら相手の名前すらも知らないというのに。
「うわ」
自分の分を作り終えたのか、縁が皿を持って食卓の向かいに座る。と同時に俺の顔を見て声を上げた。
「何だよ今度は」
「何か顔がしおしおになってるから思わず声が……そんなに不味いんです?」
「不味……くはねえけど……美味くもない……」
正直に言ってしまうのも何だが、こればっかりはどうしようもない。自分で焦がしたものだから責任を取るべきというのも勿論分かってはいるのだが。
「はは、正直っすね」
「俺は嘘吐くの下手だからな」
「知ってます」
そう言うと、縁はふっと微笑んでいただきます、と手を合わせる。
「それにしても、アンタが恋とはね」
「……悪いかよ」
「いえ別に。先輩にも人並みに人生楽しむ気があったんだなって安心してる程には好ましく思ってますよ」
「俺の事なんだと思って……」
恨めしげに言ってみたが縁の言うことにも一理ある。一つ年上の居候が出かけていくのは学校かアルバイトかの二択しかないような様子を見ていれば何が楽しくて生きているんだ、と俺でも思うだろう。
「俺が頼んで居候してもらってるんだから家賃なんて要らないっつってんのに頑なに払うし、高校二年生なんだしもっと自分の為に使えって思いますよ、俺は」
「家賃払うのは人として当然だろ」
「あのね……そもそも俺はこのクソ広い平家の掃除とかを半分負担してもらえる、アンタは家賃の心配せずに住むところができる、でwin-winじゃんって話だったでしょうが。何前提崩させてんだって話ですよ」
確かに、ここに来る前に住んでいた集合住宅の大家の意向で(確か採算が取れないから取り壊すとか何とか言っていた気がする)追い出された際に偶々同じ職場で働いていた彼に相談した結果そういう約束で居候させてもらっているのだが、そういう約束だったにしても何も払わずに家に置いてもらっている事実がどうにも居心地が悪く、色々と言い訳を並べて家賃を押し付けている、というのが現状である。
「まあそうだったけどさ……流石に俺も申し訳なく思うわけで」
「ったく、律儀なんだから……」
呆れたように溜息を吐き、縁は炒飯を頬張る。
「で、どうすんです?」
「どうとは?」
聞き返すと、縁は頬杖をついて指を指す代わりにスプーンをこちらに向けてくる。
「アンタの想い人についてですよ。……まさかたまに図書館で見かけるだけのままでいようだなんて思ってないですよね?」
想い人、という言葉にあの日の図書館でのやり取りが不意に想起されるが、頭を激しく振って雑念を掻き消す。
「そりゃまあ……俺もよく知りたい、とは思うけど」
「けど?」
「……名前も知らなきゃ声すらロクに聞いた事無いんだ、これ以上どうにかなれるとか思わないだろ」
「あのね、それをどうにかすんのが恋愛ってもんでしょうが。何もしてないうちからウジウジしてないで下さいよ」
そう言って、縁は再び大きく溜息を吐いた。
「……まあ、アンタが名前も声も知らない相手のこともっと知りたいって思ってるだけでも上等か」
「誰だって知りたいだろ、その、好……気になる人のことはさ」
「その誰だってにアンタが含まれるか怪しいから聞いてるんでしょうが……ま、いいや」
もうこの話は終わりだと言わんばかりに、縁は自分の分の炒飯を食べ始める。
食べ終わった食器を流し台に片付けて水を軽く流す。さて洗おうかと洗剤に手を伸ばした時、縁があっと声を上げる。
「先輩、食器類は放っといて下さい。食い終わったら俺が洗いますんで」
「俺のする事なくなっちゃうんだけど……」
「包丁で指切りそうだから言ってるんですよ。ほら行った行った」
「うぐ……わ、分かったよ」
促されるままに台所から廊下へとぼとぼと歩いていく。もともと何もしていない時間というのがどうにも苦手な上、隙あらば図書館の彼の事を自分の意志とは関係なく思い出してしまっている状況でやるべきことも与えず放り出されて途方に暮れないわけがないのだ。
「俺だってこんなことになるとは思ってなかったよ」
縁側から庭を眺めながらぼそりと呟く。自分の事で精一杯で、恋に現を抜かしている暇なんてないと思っていたのにそんな都合などお構いなしにそれは芽吹き、瞬く間に巨大に育っていくのだ。
「恋患いとか、恋の病とか、巧い事言うよな。昔の人」
病というのは流石に言いすぎじゃないかと思っていた事もあったが、いざ当事者になってみればなるほどこの自分ではどうにもならない感情の動きは確かに病に近いものがある、と頷けるのである。