彼に想いの丈を打ち明けてから十日程が経った。あれから音沙汰が無く、ああやっぱりダメだったかと半ば思いかけてきたその頃、夕食の支度をしていた時に電話が鳴る音がした。それから少し置いて、俺を呼ぶ声が居間から聞こえてくる。
「今行く」
そう言って、濡れた手をタオルで拭うと居間で電話の応対をしている居候のもとに向かった。
「電話代わりました。雨沢です」
『……もしもし、神崎です』
受話器から聞こえてきた音声に、ひゅっと喉が鳴る。
「……神崎? どうした?」
『…………その、会って話したいことがですね、ありまして』
緊張したような神崎の口調に釣られてこちらまで緊張してくる。
「会って? あー……いつ頃が良いとかあるか?」
『いつ頃……その、ちょっと会って話すだけですから、君が大丈夫なら僕は今からでも問題ありませんが……』
「今⁉」
思わず声が裏返った。
『ダメでしょうか?』
「いや、ダメとは言わないけど急だなと……ほら、準備とかあるだろ」
心の、と言いかけて慌てて口に手を当てて言葉を止める。彼の言う要件が自分が待っているものだとは限らない。
しかしそれを確認するのも気が引けてしまって、何も言わずに次の言葉を待った。
『その、今日そちらに伺おうかと思っていまして。……別の日がよければ出直します』
「あ、いや! 今日で良い、何ならすぐに来て貰って構わない」
神崎の声が少し沈んだのが電話越しにも分かってしまい、慌てて訂正する。
「いつでも来ていいから、本当に」
『……分かりました、ではこれから向かいます』
そう返事が返ってきて、プツンと電話が切れる。自分で言っておきながらこれからすぐ来るのか、という緊張からか手足の末端が冷える感覚がする。
(落ち着け落ち着け、とりあえずやりかけの物済ませてから考えよう)
自分に言い聞かせるように心の中で呟いて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
まだ彼が到着するまでに時間があるはず、と一度台所に戻った。
出来上がった夕食を食卓に並べ、居候に先に食べているように促してから自分は外に出る。まだ日は沈み切っておらず、夕日が街を照らしている。玄関を出て扉を閉めると同時に足音がして振り向くと、小走りで駆け寄ってくる神崎の姿が見えた。
「家の中で待っていても良かったのに」
「いや、何か……落ち着かなくてさ」
苦笑しながらそう答え、用件について問いかけると、先程までこちらに向けられていた視線が揺れ、足元に落ちる。
「え、と──」
口ごもりながらも、意を決した様子で彼は顔を上げる。
「……その、先日の事で」
先日の、という言葉に心臓が跳ね上がる。
「僕なりに色々考えたんです。それで……」
そこでまた言葉を止めてしまう彼に、俺は恐る恐る尋ねる。
「──それで、どうなった」
「正直なところ、考えれば考える程わからなくなってしまったんです。君の気持ちはとても嬉しいけど、その、十年くらい、ですかね? そんなに長い間想ってもらえるような人間だったかなって」
そう言って俯く彼を前に、やはり受け入れられないのだろうかと残念と感じると同時に当然か、とも思う。今まで良き友人だと思っていた相手が突然今までずっと恋愛対象として見ていたなんて言ってきたのだ。戸惑うだろうし、受け入れ難いだろう。
「……でも、引っかかるのはそれだけなんです。君が言ってくれた言葉は不思議と嫌じゃない……それどころか、凄く嬉しくて」
照れ隠しだろうか、神崎は両手で口元を覆いながら呟く。
「……こういうのは初めてで……その、うまく言えないんですけど、君となら、良いかなって。そう思ったんです。……だから、その……僕の方こそ、よろしくお願いします」
最後は消え入りそうな声で言う神崎は、耳まで真っ赤になっていた。
「え、あ……それは、つまり──」
俺の言葉に小さく頷く神崎。
それを目にした瞬間、思わず彼の身体を抱き締めた。
「ちょっと……!」
慌てる彼を無視して強く抱き寄せる。
「……ありがとう、めちゃくちゃ嬉しい」
そう震える声を絞り出すと、背中に手が触れる感覚があった。それからおずおずといった様子で抱きしめ返される。
しばらくそのままでいると、恥ずかしくなったのか神崎の方から身を離した。
「じゃあ、あの……そういうことで」
「あ、ああ……うん」
ぎこちなく笑い合い、お互い顔を逸らす。
「……じゃあ、帰りますね」
「分かった。気を付けてな」
「はい。では、また」
そう返事をして踵を返す神崎の後ろ姿を見送りながら、頬が濡れていることに気付く。
極度の緊張から解放された安堵からか、それとも、ただ嬉しかっただけなのか。ともかく、頬を濡らしていた涙を乱暴に袖口で拭い、家に戻る。
神崎の言葉が慈雨のように喜雨のように、心を満たしていた。