とある当直明けのことだった。商店街で福引をやっていたからと戯れに一回分引けるだけの買い物をして引いてみたのだ。普段のくじ運はまあとてもじゃないが良いとは言えない程度であるから、今回も良くて台所用洗剤、九割方ティッシュだろうと思いながら静かにハンドルを回すと、カランとこぼれ落ちたのは白でも緑でもなく金色の玉だった。
「おおっ、金だね! 一等! 温泉旅行二泊三日ペアチケット〜! 兄ちゃんおめでとう、彼女さんとでも是非どうぞ」
「え、あ……ありがとうございます」
からんからんとハンドベルの音がけたたましく鳴り、封筒を手渡される。
まさかの一等を引いてしまったようだ。自分でも信じられずに固まっていると、後ろがつかえているからと係員に福引会場から追い出されてしまった。
「彼女、つったってさあ……彼女じゃねえけど……」
恋人の顔を思い描きながら封筒の中身を確認する。彼はこういうのは好きなのだろうかとチケットを眺めながら考えてみる。
「……大浴場なのかな」
あまり追求しては辛くさせてしまうかもしれないと詳細な事情は聞けていないのだが、彼の身体には大きな火傷の痕があった。そのことを考えると大浴場ではあまり気が休まらないかもしれない。その時はチケットを知人に譲ろうと半ば諦めながらもチケットの裏を見ると、利用期限や食事形態などの詳細が書かれている。
「……ん」
流し読みしていると、ある記述に目が止まる。
「露天風呂付き個室……」
願ったり叶ったりとはこの事で、これなら彼もついて来てくれるだろうかなどと考えてながらチケットを仕舞う。
善は急げとその日の夜、早速恋人に電話してみることにした。
『温泉……ですか?』
「商店街の福引で当たったんだよ。誰かにやっちまうのもなんか勿体無いし、よかったら一緒にどうかなって」
受話器の向こうから思案する声が漏れる。
「あーその、強制するつもりはなくて、もし予定が合いそうだったらって……思ってさ」
『せっかく君が誘ってくれたんですから、僕が合わせますよ』
そう言って、場所や日時の詳細をどこか嬉しそうに聞いてくる神崎の様子に、少し胸を撫で下ろした。
そして約束の日になり、待ち合わせた駅の改札を出ると見覚えのある人影が見える。
「待った?」
「いいえ、僕も今来たところですから」
そんな何気ない会話をしながら目的地へと足を運ぶ。道中も特に何かを話すわけでもないけれど、それが心地よい空気感を作り出していた。
辿り着いた旅館は高級そうな佇まいで、一瞬場所を間違えでもしたのではと住所や建物名を確認し直したりもしたが、特に間違いは無かった。入り口に立つ仲居さんへ宿泊予定の旨を告げて案内してもらう。
通された部屋は二人で使うにしても広々とした和室で、広縁に座り心地の良さそうな一人掛けのソファが机を挟んで置かれている。
「これは……また随分といい部屋な……」
「僕も驚きました。こんな立派なところだとは思いませんでしたから」
一度床に荷物を置き、用意された座布団に腰をかけて一息つく。
「えと……とりあえずお茶でも飲みますか?」
「そうするか。電車で疲れたしな」
急須に手を伸ばすが、神崎が先にそれを手に取ってお茶を入れる準備を進めていく。俺は手持無沙汰なのを誤魔化すように部屋の中を見回して、外の風景の見える大きな窓に目を止めた。
外はよく晴れていて、遠くには山、そして窓の近くでは時折風に揺られている木々とのどかな風景が広がっている。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
湯呑を受け取り、熱々のお茶をずず、と一口啜る。美味しい。
「それで……これから何をしますかね」
「そうだな……」
言葉に詰まる。湯呑を置くコトリという音が静かな部屋に響いた。
「あー……、外にでも出ますか? この辺りは有名な温泉地らしいですし、何かしら見るところも──」
「んー……、風呂でも入る? 部屋に露天風呂があるんだよ、一人でのんびり入れて──」
「「…………」」
同時に正反対の提案をしてしまい、二人して押し黙る。
「お風呂にしますか」
「外ぶらつくか」
「「…………」」
同時に相手の提案に合わせる。そして再びの沈黙。二回の沈黙と今日の神崎の様子を加味して一つの結論に至る。
「何か、緊張してる?」
「えっ、あ……その、それはまあ、少しは」
目を泳がせながら答える神崎に嬉しさを感じてしまう。思わず頬が綻んだのが目に付いたのか、ムッとしたように眉間に皺が寄る。
「な、何ですかその顔! 緊張もするでしょう、その、えー、こ、恋人との旅行なんですから。それともなんですか、君は何とも思ってないって言うんですか!」
「そんなわけないだろ。ただ何と言うか……同じような事考えてたんだなって思ってさ」
緊張しているのが自分だけでないことに安心したし、それが嬉しかったと正直に話すと、神崎は全部言い終わらないうちにクスリと笑い、「似たもの同士ですね」と零した。
それから外に出て温泉街を散策することになり、気になる店があれば入ってみたり、土産物屋を覗いたりと、他愛もない会話を交わしながら過ごした。
「そろそろ戻るか」
「そうですね、もう日も落ちてきてしまいましたし」
旅館に戻ってきて部屋に戻ると、既に夕食の準備がされているようで、テーブルの上には懐石料理が並べられ始めていた。
「おおー……豪華……」
普段口にしないような豪勢な品々に感嘆の声を上げる。神崎も並べられている料理の数々に目を輝かせていた。
「冷めないうちに食べちゃいましょうか」
「そうだな、いただきます」
「いただきます」
二人で手を合わせて箸を取り、目の前にある鯛のお造りを口に運ぶ。
「美味しいですね」
「ん、美味い」
豪勢な見た目に違わず味の方も絶品で、あれこれと言葉を並べて讃える事すら無粋に感じる程だった。向かいに座って箸を進めている彼も同じ意見なのだろう、最初の感想から一口、二口と食べ進めていくほどに口数が少なくなっているが、嬉しそうな表情は変わらない。
「……連れてきてよかったよ」
「ええ、僕もとても楽しいです」
その後も食事を進めていき、綺麗に平らげられた皿を前に満足感に浸っていると、ふと思い出したかのように神崎が呟く。
「そういえば、今日は満月でしたね」
「ああ、そういえば。どうせこの後暇だし、見に行くか?」
「いいですね、行きましょう」
時刻は午後七時前。食事を済ませたばかりではあるが、せっかくなので夜空に浮かぶ月でも眺めようと、身支度を整えて宿の外へと出る。
宿の外では昼間は暖かかった気温もすっかり下がっており、冷たい風が肌を撫でる。空を見上げれば、雲一つない空に欠けひとつない月が柔らかな光を地上に落としていた。
「……綺麗ですね」
「そうだな」
しばらくそのまま二人で何をするでもなく月に照らされる温泉街をぼんやりと眺める。そうしていると、神崎が不意に俺の手を握ってきた。彼がいつも着けている手袋の感触とは違う仄かに暖かい温度を掌に感じ、思わず握られた右手に目を向ける。
「え、あ、手袋──」
「この方が君も温かいかと」
神崎の顔を見ると、照れたようにへにゃりと笑っていた。手を握り返す代わりに指を絡めてみると、驚いたような声と共にぱっと手を離される。
「……」
「……ご、ごめん」
「僕の方こそ、その、驚いてしまって」
「嫌だったか?」
「いえ、そんなことはありません。その、恥ずかしくなってしまって」
少し俯いて答えた彼の耳は寒さのせいなのか、それとも羞恥心からくるものなのか、ほんのり赤く染まっていた。
「……戻りましょうか」
「そうだな」
お互いを意識してしまったせいか、二人して少し落ち着かないまま部屋に戻った。
部屋に戻ると、すでにテーブルが片付けられていて布団が二組敷かれている。
「…………」
「……くっついてますね」
二組の布団は部屋の真ん中にくっつけて敷かれている。そう、くっつけて。
別にやましい事をするつもりは元々無いのだし、何なら布団の位置をずらせば何も問題はない。そうは思うのだがそういう提案すら出来ずに固まってしまう。
「旅館の方にも僕らってそう見えてるんでしょうかね」
「……気を利かせてくれたんじゃねえかって?」
自分で言いながら照れ臭くなってしまい、片手で顔を覆う。
「……布団どうする、離すか」
「……僕は別にそのままでも」
俺から顔を背けながらそう呟く神崎の言葉に一瞬だけ心臓が飛び出る程に大きく鳴る。
「ほ、ほら。一組しか用意されてない訳じゃありませんし、普通に寝るのとなんら変わりないですって」
「まあ、そうか……」
言われてみれば確かにそうで、先程のことがあったせいもあるが少し意識しすぎだ、と自分を戒める為神崎に見えないように頬をぐにぐにと抓る。
「そうですよ。だからこのままでもいいと思いますよ」
「そ、そうだな」
結局、布団はそのままで就寝することになった。そして寝る前に順番に風呂に入ることにしたのだが、この後恋人と並んで就寝すると思うと温泉をのんびり楽しんでいる心の余裕など無いに等しく、一通り体を洗ってすぐに風呂を出た。
妙に早く風呂から上がって来た俺を見て神崎は不思議そうにしていたが、すぐに切り替えたのか、支度をして風呂に向かっていった。
一人で部屋に残された俺は洗面所に備え付けられたドライヤーで軽く髪を乾かし、敷かれた布団に腰掛ける。今のうちに少し布団を離すかとも考えたが神崎がそのままでも良いと言っていたことを思い出し、そのまま待つことにする。
「いいお湯でしたね」
それからしばらくして、風呂から上がった神崎が浴衣姿で現れた。ドライヤーの場所を教えると、上機嫌で洗面所に向かっていく。
俺は緊張を解すためにゆっくりと深呼吸をする。しかし、普段見ることのない浴衣姿だとか、先程の手の感触だとか、色々なものが頭から離れない。
「そもそも、別に何かするってわけでもねえし緊張すること無いんだ、いつも通りにしてれば……」
いつも通り、と言ったもののよくよく考えてみればそもそも普段から平常心でいられていないのを思い出したが考えないことにした。
それから程なくして神崎が戻り、電気を消して布団に横になった。
暗闇の中、背後からごそ、と衣服だか布団だかが擦れる音が聞こえる。背中を向けて意識しないようにと努めていても流石にすぐ隣に敷いてある布団の音は否が応でも耳に入ってしまう。
その上その布団に寝るのは恋人、ときたらどうしてもそちらの方が気になってしまい、とてもじゃないが呑気に寝ていられる状態ではないのは明らかだった。
「寝て……ます?」
「……ねてる」
「ふふ、起きてるじゃないですか」
背後から投げかけられる問いに無愛想に返すと漏れた息の音の様な小さな笑い声が背後から聞こえてくる。
「目が冴えてさ」
「……奇遇ですね、僕もです」
そう言うなり布団の中で何かを探るような衣擦れの音がして、次の瞬間には自分の身体に後ろから回された腕が絡みついていた。
その腕の持ち主が誰であるかなんて考えるまでもない事だが、敢えて思考の外に追いやっていた事実を突きつけられると心臓が早鐘を打つ。
「…………っ」
「………………」
息を呑む自分と抱き着いた姿勢のまま動きが止まる神崎。初心なのはお互い様と言ったところだろうか。
回された腕に少し躊躇いながら片手を重ねると、ぴくりと神崎の指先がこわばるのを感じる。
「……温かいですね」
「……そうだな」
「しばらくこのままで居てもいいですか?」
「……いいよ」
神崎の腕に少し力が籠もる。背中側から伝わってくる心臓の鼓動と自分の心臓の音が混ざり合い、もはやどっちがどっちだかわからなくなっていた。
「……」
「……」
お互いにそれ以上何も言えず、しばらく沈黙が続く。
心臓の音やそれこそ呼吸の音が聞こえてくるほどにしんと静まり返った部屋内でも、不思議と苦痛に感じないのは、隣にいるのが神崎だからだろう。
「……明日も楽しみですね」
「ああ」
腕に添えていた手を動かし、そのまま彼の手を握る。すると握り返される手に、心が満たされていくのを感じた。
それから暫くの間、俺たちは何も言わずただ互いの温もりを感じていた。