11.冬隣は君と共に

 色づいた木々が葉を落とし始め、秋もそろそろ終わりを迎えようかという頃。過ごしやすかった気温もだいぶ下がり始め、いよいよ近づいてくる冬に備えよう、そんな頃だろうか。
 先日、街中に姿の変わるキャンディがばらまかれる等事件もあったがそれ以外はいたって平和で、交際を始めた彼とも穏やかな日々が続いていた。

「なあ、神崎。次一日暇な日っていつ?」
 食事を口に運ぶ手を一度止め、恋人に問いかける。
「一日、ですか?」
 目の前に座る神崎は首を傾げながら、手帖を取り出して眺め始めた。
「そうですね……再来週の土曜日なんてどうでしょうか?」
「土曜か。多分大丈夫」
「どうしたんです? 突然」
「……大したことじゃないんだけどさ、折角だから一緒にどこか行こうかと」
 彼と交際を始めてからというもの、こうして二人で会って食事をすることこそしているが一日を一緒に過ごしたことは未だに無い。お互いに忙しいというのもあるが、俺の方がまだ誘う勇気が無かったのが主な原因であるが。
「折角──ああ! そういうこと……」
 俺の意図を察したようで、神崎は少し照れたように頬を赤らめる。
 意図、なんて言ってしまうと少し大仰ではあるが、要するに恋人らしいことをしたいと、それに尽きるわけだ。
「そういうわけだからさ……何か、理想とか? 無い?」
「っ、りそ……っ、ふっ、い、言い方……っ」
 口元を押さえて笑い出す神崎。確かに自分で言っておいて何だが、同性の、その上この間まで友人という間柄だった相手とのデートの理想なんて聞かれても答えようが無いだろう、笑うのも無理はない。
「すみませっ、なんか、ふふ、可愛いなって」
「他に上手い言い方が思いつかなかったんだよ」
 悪いかと口を尖らせ、一度言葉を切る。
「初めてなんだ、こういうのさ」
 カップに半分ほど残ったコーヒーをぐいと一気に飲む。少し砂糖を入れすぎたようで、最後の一雫はコーヒーというには些か甘すぎた。
「だからどういう場所に行くべきとか、どこなら喜びそうとか、そういうの見当つかなくて」
「それで、僕に直接聞きたいと?」
「まあ……そんなとこ」
「……君と一緒に行きたいところ、ですか」
 ふうむ、と顎に手を当てて考え込む神崎。
「別にそこまで真剣に考えなくても。ちょっとここ行ってみたいな、とかその程度でもいい」
「真剣になりますよ! 初めての……で、デート、ですし」
 デート、という言葉を言う時に少し顔を赤くして目を逸らす姿が何とも可愛らしく思えて、こちらまで顔が熱くなる。
「ええと、そうですね……水族館とかどうですか?」
「水族館…………うん、いいと思う」
 一度言葉を止めて考えてから返事を返す。水族館なら、会話が途切れて困ることもない筈だ。
 それから、無事意見がまとまりその日は解散ということになった。
 別れ際、楽しみにしてますと言って微笑んだ彼の表情を見て、胸の奥がきゅっと締め付けられる感覚を覚えたのは気のせいでは無いだろう。

 さて、待ち遠しい予定があると時間が過ぎるのが早く感じる物で、約束の日はすぐにやって来た。
 起きるなりすぐに身支度を整えて家を出て電車に乗り、目的地へと足を運ぶ。休日のせいか車内は混み合っていて、つり革を掴むのにも苦労するほどだったし、外はコートが必要になるくらいには寒いが、そんなことも気にならないほど俺は今日という日に心躍っていた。

 約束した時間の少し前に着いた水族館の前にはすでに見慣れた人影があり、待たせてしまったかと慌てて駆け寄ると、にこりと微笑みながら軽く頭を下げる神崎が居た。
「悪い! 待たせた」
「いえ……今来たところですよ」
 今来た、というにはすこし赤くなっている頬に彼の優しさが透けて見える。
「そんな律儀に外で待ってなくてもよかったのに……」
「僕が早く来すぎてしまっただけですから、気にしないでください」
「俺が気になるの。後で何かあったかい物奢らせて、コーヒーとかさ」
 神崎は少し考えて、困ったように微笑みながら「……では、帰りに寄りましょうか」と答えた。

 開園からまだ時間もさほど経っていないというのに館内には人が多くいた。入口を入ってすぐのところにある水槽の前がたまたま空いていたからそこに向かえば、水槽の中には色とりどりの魚や珊瑚が見える。海の生き物の展示のようだ。
「神崎はさ、こういうのよく見に来たりする?」
 俺の隣で興味深そうに水槽を眺める神崎に声をかけると、神崎はふるふると首を左右に振った。
「いえ、あまり来ないです。だから今日がすごく楽しみで……はしゃぎすぎですかね」
「そんなことないよ。俺も楽しみにしてたからさ、同じように思ってくれてるなら嬉しい」
 普段のおとなしそうな雰囲気とはまた違う、水族館という場所にはしゃいでいる彼の表情があまりにも可愛らしく見えて胸が高鳴るのを誤魔化すように他の水槽に視線を向けた。
「……あ、向こうも見に行きますか?」
 そんなこちらの様子に気付いているのかいないのかそろそろ移動しようかと提案した神崎に向けて頷き、二人で奥の方へと向かうことにした。

 それからいくつかの水槽を雑談を交えながら見て回り、次に足を止めたのはクラゲのコーナーだった。
 手のひらほどの大きさのものから小指の先ほどの小さなもの、クラゲの形にもなっていない幼体など大小さまざまだったり、今まで見たことのない種類だったり、スペース自体はそう広くはないものの、数多くのクラゲが展示されており、その色や形、水流にふわふわと流されていく姿はいくら見ても飽きを感じさせない。
 そしてコーナーの中で一番大きな水槽の中では数えきれないほどの数のミズクラゲが揺蕩っており、それら自体は海で良く見かける種類でこそあるのだが、水槽の中を漂うクラゲたちの何とも幻想的な姿に思わず見入ってしまった。
 隣にいる恋人も同じようで、感嘆の声が小さく聞こえてくる方に目を向ければ、クラゲを照らして幻想的な空間を作っている青白い光に神崎の横顔が照らされているのが見えた。光のせいか、それとも心の底から楽しんでいるからなのか、水槽のクラゲたちを見つめる神崎の目はキラキラと輝いている。
「……楽しそうで何より」
「楽しめないかもという心配でも?」
「少し」
 答えながら水槽に目線を戻す。
「一日中一緒に居るのって初めてだろ? 俺、お前とちゃんと会話続けられんのかなとか、気まずい空気になったらどうしようかとか、色々余計なことばっか頭に浮かんでさ……けど、考えすぎだったな」
 言い終わらないうちにきゅ、と服の裾を引かれた。
「……僕も同じようなことを考えていましたから、考えすぎなんて事はありませんよ」
「そうか?」
「ええ、もし何かが起きて遅刻してしまったらとか、そもそも混み合っていて中に入れないかもしれないとか、不安な事を考えていったらキリが無くて」
 杞憂で終わりそうですけどね、と頬を掻きながら微笑む神崎。彼の言葉を聞いて、緊張していたのは自分だけでないことに安堵した。
「似たもん同士ってことだな」
「ふふ、そうですね」
 控えめな笑い声のする方に目をやると、彼もこちらに目を向けていたらしく、一瞬ぴったりと目線がぶつかる。先ほど似たもの同士だと言ったばかりなのもあって、笑いを堪えきれずに二人して吹き出した。

 満足するまでクラゲを見た後、再び順路に沿って歩き出す。左手側の壁には丸い穴がいくつか空いており、埋め込まれた小さめの水槽が覗けるようになっている。その水槽の中に展示されているイソギンチャクや小さな熱帯魚を見る為に時折足を止めながら先に進み、突き当たりを曲がると──
「わ……!」
 広い空間の中に、天井まで届きそうな大きさの水槽が鎮座していた。水槽の中では色とりどりの魚やエイ、サメといった様々な生き物が悠々と泳いでいる。
 近付いてよく見てみれば、岩場の陰で口をパクパクとさせている魚がいるし、そこから少し上に目線を移せば海藻の隙間で魚が身を隠しているのが見える。
 水槽の中の光景はまるで海を一部分切り取ってそのまま箱に詰めたように感じられるほどに雄大で、生き生きとしているように思えた。
 その様子を水槽に手をついて食い入るように見つめていると、隣からくすりと笑う声がする。
「な、なんだよ」
「さっき僕に楽しそうって言ってたけど、君も一緒ですね。見てたらなんだか微笑ましく思えてきてしまいました」
 周りの客に気を遣ってあまり声を出さないようにしているのか、囁くようにこちらに話しかけてくる。
「微笑ましいって……子供じゃあるまいし」
「楽しそうに目を輝かせて魚を見ている君が可愛くて。子供っぽいって言いたいわけじゃないですよ?」
「……可愛くはないだろ……」
「ふふ、ごめんなさい」
 神崎の言っている意味を理解しかねると眉間に皺を寄せるも、そんな様子を見ても楽しそうに小さく笑い声を漏らす。
 そんないたずらっ子のような表情を見せてきたのは初めてで、心臓がどきりと跳ね上がる。
「っと、あー、その……つ、次見に行こうか」
 動揺を隠すように神崎を促し、順路の表示をなぞろうと水槽から視線を外すと、手に温かいものが触れた。
 驚いて手の先を見れば、自分よりも少し小さい手が重なっている。
「せっかくですから……ね?」
 そのまま重ねた手で指先を包み込んでくる。いつも彼がつけている黒い手袋越しに感じる仄かな暖かさに、また心臓がどきりと跳ねる。
「あ……えと……うん、そう……だな。せっかくだし……」
「それじゃあ行きましょうか。僕、カワウソが見たいです」
 しどろもどろになりながらも肯定を返すと、神崎は嬉しそうに笑みを浮かべ、俺の手を引いて歩き出した。

 それから先は、繋いだ手に伝わってくるほんのりとした暖かさと、手を繋いで歩くことによって詰まった距離に気恥ずかしさが勝ってしまい、周りの展示などほとんど頭に入ってこなかった。
 カワウソの餌やりとか、泳ぐアザラシだとかそんなものを見たような気もしたが、目に焼きついていたのは水槽の中の魚やカワウソではなく、むしろ隣で目を輝かせながら展示を見ていた神崎の顔の方だった。
 神崎の方はというと、そんな俺の様子に気付いているのかいないのか、俺の手を引いて歩き回る。
 そして時折こちらを振り向いては、目が合うと心底楽しそうに笑うのだ。
「楽しかったですか?」
 一通り展示を周り、出口へと向かう道すがら神崎がそんなことを聞いてきた。
「楽しかったよ」
 こちらの答えに満足げに頷き、出口の前まで来てようやく繋いでいた手を離す。
 自由になった右手にはまだ神崎の手の温かさが残っているような気がして、それを逃がさないようにそのまま上着のポケットに突っ込む。
「外はもっと寒いですよ」
 そんな俺の様子を見て神崎は肩を竦める。単に寒がっていると思われたのか、それとも真意に気付いているのか。それは俺には分からない。
 ただ一つだけ分かるのは、神崎も離した手をそのままポケットに突っ込んだこと。それだけだ。