「その汚い目を見せないで」
母と呼ぶべき女性は何かあるたびに吐き捨てるように言った。 機嫌を損ねたり、そもそも虫の居所が悪い時、彼女はその理由を何度も叫び散らした。
当時の自分が聞き取れた部分を要約すればどうやら自分はとあるホストの私生児らしいとか、日を追うごとに父親と瓜二つに育っていくくせに目の色だけは全くの別物だとか、そんなことだった。
彼女が言うには父の目は誰もが目を奪われるほど美しく、夜空の一番星、もしくは緻密なカットを施した宝石のようだったらしい。
当然その言葉の後にはそれに比べてそのドブ川のような濁った目は何だと、そう続くのだ。
普段なら、この後はただただ流れ続ける女の癇癪に耐えかねて深夜に目を覚ますのだろう。
──けれど、その日は少し違った。
金切り声が急に聞こえなくなったかと思えば、目の前にいる人間が変わっている。夢なんてそんなものと言ってしまえばそれまでだが、何とも脈絡のないものである。
どうやらこれは明晰夢ではないらしく、人影の正体を知りたくとも目線は目の前の人物の膝のあたりを彷徨っており、動かすことはできないし、自分の意思で声を発することもできない。見ることができた足元から、どうやら男性であるということだけが何となくわかった。
しばらくすると、不意に男が膝を折って身を屈める。目線を合わせているのだろうがそんなことをする大人が当時の自分の周囲に居ただろうか?
困惑する自分に文句を言うでもなく、男は目を覆うほどに伸びた前髪を人差し指ですっと分ける。
「前髪切らないのか?」
「……ゆきのさんにおこられる……」
「怒られる? どうして?」
「ぼくの目、きれいじゃないから」
その言葉に反応するように指先がぴくりと動き、何か思案するようにその手を口元に持っていく。
「少し待ってろ」
男は立ち上がると何処かに姿を消した。
一人称視点の映像を見ているのにどこか他人事のようで、それでも視点の主である──恐らくは過去の姿をした──自分の感情はしっかりと流れ込んでくる。
もしかしたらこれは夢ではなく本当に自分が体験していることなのかもしれない、そう感じ始めた時、男が再び現れる。
男はまた身を屈めると、前髪をサッと片側に流して髪留めをつけてきた。
「……ここにお前を怒る人は誰も居ないよ」
目を晒すなという言いつけ通りに目を固く閉じる自分に、男は怒るでも呆れるでもなく、諭すように声を掛けてくる。
その言葉にゆっくりと目を開けると、開けた視界に映るもの全てがどこか明るく輝いているように感じられた。
「……きれい」
前髪を払ったことで見えた男の目──それは父と呼ぶべき人のものではなかったが、それでも美しく見えたのだと思う──に思わず目が釘付けになる。
男はそんな自分の様子を見て、どこか安心したように笑った。