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縁の腐る前

「武者小路卓也だな、面貸せ」 ドアを開けると、見覚えのない人間が立っている。見覚えないと言っても、この状況に心当たりが無いわけではない。「何? 君の本命?」 傍に立つ女に声をかける。「知らない……」 当てが外れたようだ。「なーんだ、じゃあ貸…

20.台風明けて、早暁

 カーテンの隙間から差し込んできた朝日が顔に当たり、眩しさで目を覚ます。二日酔いだろうか、少し頭が痛い。 横を見ると、尊がこちらに背中を向けて頭まですっぽりと布団に潜り込んでいる姿が見えた。丸く膨れている布団の塊はまるで大福餅のようで、なん…

19.天隠す酒涙雨、雲を裂いて神立

 がちゃり、と鍵が回る音が部屋の中に響く。その音に気付いた尊が音のする方へ向かうと、ただならぬ様子の恋人が玄関の扉を開けて入ってきたのが見えた。 靴を脱ぐでもなく壁に体重を預けてぼんやりとしている恋人に駆け寄ると、顔は赤くなっているし、しき…

18.春時雨過ぎて、酒涙雨

 この日は珍しく酒に酔っていた。 普段は全くと言って良いほど酒に触れない生活をしているから、たまにはどうだと誘ってきた知人も驚いていたのをぼんやりとする頭で覚えている。 普段なら断るが、今日は気分が良くてつい誘いに乗ってしまったのだ。 それ…

骨壺

 養父が死んで、分かったことがある。 一つは、彼には自分達以外にこういう場に現れるような血縁が存在しないということ。 もう一つは、どんな人間でも死んだ後はこんな風に骨にされて、小さな入れ物に収められてしまうのだということ。 骨壷を持って火葬…

17.鈍色の空と雨滴を眺めながら

 雨の音が聞こえる。 雨粒が窓を、草木を、地面を叩く。 窓の外を眺めてみれば、鉛色をした雲が空を全て覆い隠し、雨粒を降らせていた。 そして雲からこぼれた雨粒が時折窓にぶつかっては、水滴を飛び散らせている。 俺はそんな光景をぼんやりと眺めてい…

16.浅春とチョコレート

 二月の街はチョコレートの香りがする。 この時期はどこを歩いても菓子を提供しているような店ではこぞってチョコレートを使った菓子をを前面に押し出していて、そういった店の前を通ればケーキとまでは行かなくとも板チョコの一枚でも買って帰りたくなるの…